2009年09月

イメージ 1

ダム事業は計画が発表されてから完成するまでの期間が長い。そのためいろいろな問題を引き起こしている。なぜ長引くのか。その間に洪水被害や渇水被害を受けなかったのか。ダム事業が計画されたのは、かつて洪水氾濫被害を受けた地域がほとんどだ。ところが八ッ場ダムのように計画が発表されてから64年も経っているのに大きな被害を受けたという話は聞かない。なぜだろう。

長引く理由の多くは補償交渉だ。ダム建設計画が発表されるとすぐに、水没関係地域は絶対反対を表明し、事業者の立ち入りを禁止する。自分たちの生活がどのように変わるのか想像もつかないのだから反対するのは当たり前だろう。

そのうち水没関連地域から移転に関しての要望書が出されることもあるし、県などの仲介によって交渉へ少しずつ動き出すようになる。その後補償交渉が始まるが、妥結までには相当長い時間がかかる。その間水没移転者はダム建設で水没した他の地域を見学するなどしてるうちに移転後の生活を描けるようになり最終的には妥結に至る。

水没移転に対する補償額は、1962年(昭和37年)に制定された「公共用地の取得に伴う損失補償基準」(平成10年改正)によって算定する。移転のための代替地は、ダム建設地域が山間部なのでほとんどない。そこで起業者が造成し、提供することが多い。最近は世代代わりをしたこともあって、独自に移転していくこともある。

補償に対する考え方は大きく変わった。当初は移転者の意思をまったく無視するような対応だった。その例が1953年(昭和28年)に完成した岩手県の岩淵ダムだ。当時の事業者は内務省で、補償交渉での移転住民に対する態度は高圧的で強権的であったという。当時の記録が残されている。補償金は二束三文で、移転住民を完成式典に呼ばないという住民軽視もはなはだしいものだったという。
ただしダム建設によって国道と鉄道(JR)が整備され、冬でも交通の便が良くなったことは特質すべきことだ。その後住民の権利意識は向上し、次第にダム建設に対する反対運動が活発化していく。

ところで田子倉ダムは高額な補償金で問題になった。田子倉ダムは1956年(昭和31年)に福島県の阿賀野川水系只見川に発電用ダムとして計画された。起業者は源開発。現在は株式法人だが当時は特殊法人(大蔵省66.7%、残りを九電力会社)だった。水没移転は50戸、290人。結局1957年補償基準に準じて妥結した。妥結まで足掛け8年かかった。

そのような時、日本の公共事業全体に大きな影響を与えたのが大分県と熊本県にまたがる、一級河川の筑後川水系津江川にけんせつされた下筌・松原ダムだ。1958年(昭和33年)から1971年(昭和46年)までの13年間に亘って続いたダム史上最大の反対運動・蜂の巣城紛争だ。

事の発端は住民への説明会だ。当時は開発優先で、水源地域に対する配慮はまったくなかった。そのため起業者(建設省)の説明はダム建設の必要性ばかりで、住民の最大の関心事である補償問題には何一つ触れられなかったという。このことに住民は不信感を持ち建設絶対反対を表明した。反対闘争は、当時労働運動が盛んな時期でもあり、ダム建設とは関係ない労働組合員などによる支援団体が加わって激しいものになり、逮捕者までだした。建設予定地に住民が建設関係者が立ち入らないよう四六時中監視をするための砦を築いた。これを蜂の巣城と呼んだ。

このことがあってダムが完成した1971年に、「源地域特別措置法」が施行された。この法律は、水源地域住民の生活安定と福祉向上を図るため、計画的な産業基盤整備と地域振興を図ることを目的としている。また、地域住民の同意がなければダム建設は行わないという態度を明確にした。その結果、建設反対の住民と納得を得られるまで話し合いをするこになり、このことが恒常的にダム事業を長引かせることになった。

ところがわずか3年半の補償交渉で妥結したダムがある。1956年に完成した佐久間ダムだ。事業者は電源開発。ダムは静岡県と愛知県、長野県にまたがる天竜川に建設された。3県にまたがるため交渉は難航すると思われていた。1952年(昭和27年)に建設計画を発表。1953年に補償交渉を開始。水没移転は240戸、296世帯。1955年(昭和30年)に補償交渉が妥結。高額な補償額のため建設省から今後に影響するからと改善を求められた。

先の田子倉ダムと佐久間ダムの事業者は電源開発で発電用ダムだ。いづれも補償金額は高額だった。特に田子浦ダムの反対は激しいものだった。そのため長期化による事業費増を嫌って高額な補償額を提示した。その後の佐久間ダムはその例にならって補償額を決めたため早期妥結ができた。電源開発は半官半民なのでこのような対応ができたのだ。

1997年(平成9年)に環境影響評価法が制定されたが、このこともダム事業の長期化の原因になった。この法律は宍道湖・中海淡水化事業の中止の引き金になった。国営中海土地改良事業は1963年(昭和38年)に始まった干拓地の造成事業だ。中海・宍道湖へ海水が入らないように水門で海水を遮断して淡水化し、農業用水を確保するものだ。しかし、反対が多く、2002年農水省は中止を表明した。しかし、生態系や水質への影響が大きいことや、無駄な公共事業ということで反対運動は盛んだった。そのため事業者の農水省は2002年に中止を表明した。

ダム事業で中止になったのは徳島県の那賀川に計画された細川内ダムだ。1971年台風23号で  記録的な被害と水不足のために1972年(昭和47年)に計画を発表した。水源地の木頭村は発表直後から絶対反対の姿勢を貫いた。多くの活動家や新聞社などが反対運動を支援した。1996年建設大臣が凍結を、2000年(平成12年)には中止を正式に決定した。中止の理由は治水事業としてコストがかさむことと水需要が伸び悩んで需要を見込めないためだ。

皮肉なことに、ダム建設を中止してから那賀川流域では深刻な水不足が頻発するようになった。特に2005年には、那賀川に建設されている長安口ダムの貯水率は4%までになった。当時下流の阿南市の工業地帯での被害は100億円以上と見込まれた。

2001年(昭和13年)に小泉内閣は聖域なき構造改革を政権公約に掲げ、計画から10年以上経過しても着工されていないダム事業の中止を決定した。その結果100ヶ所以上のダムが中止となった。

冒頭に書いたように、台風や豪雨によって被害を受けたことを契機に治水目的でダムは計画されたが、ダムの多くはいまだもってつくっれていない、なのに洪水被害を受けていないのはなぜだろうか。だれでも聞いてみたくなる疑問だ。

推測するに一つは最近大きな台風が上陸していないことがあるのではないだろうか。それに植林がすすんで山の保水能力が上がり、山に降った雨が一気に川に流れ込まないようになった。また、河川改修が進んだこともあるだろう。ちなみに河川改修とは堤防を高くしたり、補強したり、川幅を広げたり、浚渫といって広い面積にわたって川底を掘ったりすることだ。あるいは川の流域に遊水機能を持たせるような整備がされてきた。このようにさまざまな治水対策がとられた結果洪水氾濫被害が減少してきた。
建設が進められている足羽川ダム建設反対派は、植林が整備されているので水害の危険性は皆無とうそぶいていたようだが、平成16年の福井豪雨でその主張が覆された。

平成16年の福井豪雨で九頭竜川水系でダムのある真名川とダムのない足羽川では浸水被害が大きく異なった例がある。 気象状況が影響する 集注豪雨 対策の見直しが

利水については、最近大規模な渇水状況が起きていないことや、水需要が減少してきたたため大規模なダムの必要性がなくなってきた。ただ、四国の早明浦ダムは夏になるといつも貯水量が減り河川へ流す水の量を減らす取水制限が行われている。雨が少ない地域なのだ。先に見たように徳島県の阿南市では頻繁に渇水被害を受けている。

八ッ場ダムでの水需要の予測は過大だとして反対派が各地で訴訟を起こしている。一都5県のうちすでに判決の出ている3都県では住民側がすべて敗訴し、計画の妥当性を認めている。

しかし、一方で八ッ場ダムがずさんな公共事業と言われても仕方のない面がある。当初完成予定を2000年度としていたが、一度2010年度に延期されたが現在は2015年度になっている。総事業費も当初の210億円から4600億円と2倍にも膨らんでいる。

最近市民団体が環境問題などから公共事業の建設反対運動を行っている。ダム建設でも同じように反対運動が行われてきた。水没地域の住民はこのことに反発している。環境や財政という一面的な反対だからだ。長い時間をかけてようやくダム建設に協力的な方向へ気持ちを切り替えてきたのに、地元の事情を考えないでとる行動に怒りをあらわにしているところもある。
たしかに反対運動の多くは一面的で短絡的だ。それに代替案がないのは問題だ。

またマスコミの取り上げ方も疑問に思う。公共事業はすべて無駄だという一方的な見方である。効果は無視してマイナス面ばかり報じているように思われる。中立な立場で正確に報道すべきだ。

このようにダム建設はさまざまな経緯を経て今日に至っている。また、治水対策の難しさも感じられる。とにかくダム問題は一面的な見方をやめるべきだ。治水対策も、渇水対策も雨という自然現象が相手だ。予測が難しい。最近は局所豪雨が頻発している。特に治水対策は生命財産にかかわる問題だ。流域の社会、経済的な特性、気象状況、過去の災害状況を把握し、その地域に最も適した対策をとるべきだ。対策はダムだけに限定せずさまざまな方策を検討すべきだ。

治水事業は、いつ起こるかわからない突発的な災害に対し住民の生命、財産を守るという他とは性質を異にする公共事業だ。ゆえに拙速な事業中止は住民の生命にかかわる可能性もある。問題がおきたときどのように責任をとるのか。ダム建設に反対を表明してきたある知事が、災害時の責任問題から反対の態度を変えてきた例もある。

無駄だからといって唐突に中断してしまうのも問題だ。中止する理由をもっと丁寧に説明すべきだ。それと治水、利水を含めた代替案を早急に示すべきだ。それに水没予定地の住民の生活再建への影響も心配だ。代替地ができ移転も始まっている。ダム建設を前提に生活再建や地域振興をはかってきたはずだ。国の責任は大きい。ただ、マニフェストに書いてあるから中止するといったような発言はやめるべきだ。マニフェストに取り上げた理由や代替案を聞きたいのだ。

国の大型公共事業は一度計画されると止まらないといわれてきた。中止のルールがないからだ。公共事業全般にいえることだが計画してからある時間が経ったら見直しをするルールをつくるべきだ。気象状況や経済状況が変われば予測値は変わるし効果も変わる。また新技術の開発などによって新しい代替案も取り入れられる。多様な対策が採られるようになってきた。時間のたった事業は、安全性、経済性、環境への影響などから再評価をすべきだ。

イメージ 1

なぜ、八ッ場ダムと川辺川ダムの建設の中止を、公約として取り上げたのであろうか。詳細な説明がないので定かではないが、察するところむだな公共事業の代表例ということだろう。ただ無駄かどうかを判断するのはそう簡単ではない。生命財産を守るための事業であるだけに対応が注目される。ちなみに現在八ッ場ダムは、進捗中であるが、川辺川ダムは完成予定のめどはたっていない。

両ダムとも計画が発表されてから相当な時間が経っているし、かなりな数の世帯の水没を伴っている。これまでこの移転者との補償交渉に時間がかかったのだ。

八ッ場ダムは計画発表されてから実に64年、、川辺川ダムは42年も経っている。このことが補償交渉の難しさを物語っている。その間の苦労は相当なもと推測される。また、この地域は、ダムを建設を前提としているため、なんら公共投資は行われてこなかった。その機会損失は計り知れない。したがって中止と継続の比較を定量的に行うだけでは地元は納得しないであろう。特に八ッ場ダムでは移転も始まり本体工事の着工を待つばかりである。これだけ時間と費用を投入して中止することの影響はかなりなものと思われる。

信じられないことだが当時、ダム建設の計画が新聞に発表されて、初めて自分たちの土地がダム湖に沈んでしまうということが分かったということが間々あった。当然地元は驚くが、どうしていいのかわからない。とにかく絶対反対を表明し、関係者らしき人物が近づいてくると鐘を鳴らしてしらせ立ち入らせなかった。この状態が何年も続く。

その後県などを通じて再建策が提示される。住民は次第にダム事業や補償についての情報が入るようになる。さらに先進事例の見学などに行くこともある。次第に住民の気持ちは和らぎ補償の内容も分かってくる。しかし、何度も行き違いなどが生じて感情的にもつれたりしてその修復まで多くの時間を費やしてきた。

一般的にダム事業の補償交渉には時間がかかる。当然住民は有利な補償を得ようとするし、起業者側はあまり有利な条件で妥結すると、今後の先例になる恐れがあるので慎重な対応をする。

絶対反対の期間が長いが、その後補償の条件闘争にり、特に代替地などの生活再建策の交渉になる。とにかくダム建設地域は山間僻地なので、先祖伝来の土地を失う責心情と生活の変化に対する不安が交錯し決断ができないのが実情である。

実はこのような経緯を経て、やっと気持ちを切り替え補償を妥結したのに、今回また突然中止をすると言われたらどんな気持ちになるのか。自分の生活設計を描けないままに公共事業に翻弄されて一生を送るのことになる。

ここで八ッ場ダムの建設の経緯をみてみる。ダムの建設計画は、台風による洪水氾濫被害を契機としていることが多い。戦後すぐに多くの台風が上陸し、多数の死者行方不明者がでた。1947年(昭和22年)9月4日のキャスリー台風によって利根川堤防決壊し、死者行方不明者は1529人のものぼった。このことをきっかけに1952年(昭和52年)に八ッ場ダム建設計画が発表された。しかし、流入する強酸酸性水の中和対策に時間がかかり1967年(昭和42年)に現在の位置が決まり、その後2001年(平成13年)補償基準が妥結した。

八ッ場ダムの建設によって340世帯が移転をすることになる。また当地には川原湯温泉や名勝で天然記念物に指定されている吾妻渓谷がある。それとダムの本体にかかる固定資産税は、水没地域ではなく下流のまちに支払われるのである。

川辺川ダムも同じ背景をもっている。1965年(昭和40年)7月の梅雨前線豪雨でかつてない洪水にみまわれ球磨川流域は大きな被害を受けた。建設省は熊本県議会や人吉市議会などからの要請を受けて1966年、川辺川ダム建設計画を発表した。その後も1968年から三年連続で過去最悪の集中豪雨に見舞われ洪水被害を受けた。

川辺川は清流としても名高くアユの宝庫である。ただ川が急峻なため被害を大きくした。それに 日本有数の多雨地帯で台風の常襲地帯だ。ダム建設によって五木村の中心地が水没し、528世帯が移転することになる。ちなみに過去最も多くの移転者を出したのは、小河内ダムで945世帯だ。川辺川ダムは5番目の規模だ。

ここでも八ッ場ダムと同じように堤体の固定資産税は下流に隣接する村に支払われる。このことも建設反対の態度を硬化させた。しばらくはまったく動きがなかく、関係者の立ち入りをも拒んだ。ところが計画が発表されて4年後の1970年(昭和45年)6月に五木村は独自の再建計画を策定して建設省に要望書として提出した。

しだいに地元の態度が軟化し、地質調査のための立ち入りを認めるようになった。ところが1976年(昭和51年)に川辺川ダム建設の基本計画を閣議決定し建設省が告示した。このときまだ補償交渉は妥結していなかったため地元住民は反発し、再び態度を硬化させた。その後の基本計画の取り消しを求める法廷闘争などによって8年が経った。再び動き出した1984年(昭和59年)に補償交渉が妥結された。1996年(平成8年)にはダム本体工事の着工に同意した。

かつてダムは、受益地域を中心に計画がつくられたが、その後水没者対策が中心になり、次第に環境問題に関心が集るようになった。さらにダムによる治水対策ではなく、河川改修や植林で対応できるのではないかという意見が多くなってきた。河川改修とは堤防を築いたり、川幅を広げたり、水の流れを阻害する湾曲部を矯正したり、浚渫をすることによって流量をふやすことである。また、山間部の植林は貯水能力を高め、遊水機能を高めるという。

戦後は台風や豪雨による洪水氾濫被害が多かった。たしかに多くの大型台風が本土に上陸したこともあったが、戦後河川改修の遅れや山林は伐採したまま植林をしなかったり、開発の速度が速くて流域の整備の遅れなどが被害を大きくした。しかしその後河川改修はすすみ、流域の安全度も高められてきた。ダム一辺倒でなく代替案の検討も急ぐべきだ。

だがなんといっても注目すべきは計画が発表されて、八ッ場ダムは64年、川辺川ダムは42年も経っているのだ。計画を作った当時と状況は大きく変わっている。確かに建設計画は変更してきたが、全面的な見直しはしていない。また、ダム事業の見直しをし、中止をするルールがないことも問題だ。

時間が経ったことによってダム建設事業費も増えてきた。八ッ場ダムではこれまで二度の計画変更の結果、当初2100億円から4800億円に増額された。また昨年度までに執行されたダム事業費3210億円のうち、建設負担金として1460億円を支出している。残りの事業費1390億円のうち、770億円は生活再建事業などに充てる計画だ。建設を中止した場合の必要費用は2230億円の見込みだ。

これまで受益都県が2008年度までにk支払った負担金は、東京(457億円)、千葉(287億円)、埼玉(548億円)、群馬、栃木の一都4県で、1500億円である。都県は、中止の場合は支出済みの負担金の返還を国に求めることで、足並みをそろえた

しかし、仮にダム事業を中止し、代替案によって事業をすすめるにしても大きな犠牲を払ってきた人たちへの対応をどのようにするのだろうか。国土交通相が現地視察で地元と意見交換会を開くことを予定しているが水没関係5地区連合対策委員会は、中止を前提の話し合いには応じられないとして参加しない方針を決めた。

地元の長野原町長は、中止ありきで説得されるだけの会合には出られない。むしろ、国が話し合うことをボイコットをしているのではないかと述べている。話し合いはしたのだという実績をつくるだけになるのだろうか。注目される。

イメージ 1

民主党は今回の衆議院選挙で郵政事業を抜本的に見直すことを公約した。しかし今、国民新党の主張に引きずられて日本郵政の株式売却の凍結など官営に戻すような動きをしている。民主党内にも郵政民営化を評価する意見は根強い。郵政相の強引さが目立つ。権力を握ったら思い通りにやるという態度が露骨に見える。まさかとは思うが、小泉元首相への恨みを晴らそうとしていると見られても仕方がないように思える。

郵政民営化は、むだな公共事業を断つことが目的だ。そのためには金の流れを変えることだ。一般会計の財源は税金や国債だ。一般会計は国会の承認が必要だ。これとは別に国の信用で集められた公的資金、すなわち厚生年金、国民年金、郵便貯金、簡易保険、公的年金からの預かり金を財源に、特定の国家政策のために政府が公団、公社、公庫などの特殊法人に投資や融資を行った。いわゆる財政投融資だ。原則として、これらの資金の運用について国会の議決を必要としなかった。

そのためここで問題になったのは、政、官、業の癒着である。族議員が暗躍したり、無駄な公共事業が行われたり、談合で不正な取引が行われたりした。また官は、政治家に対し公共事業の見返りに天下り先を認めさせてきた。このように巨額な資金が動くため、隠れた利権の温床となり、特殊法人の異常な実態が明らかになり、世論の非難を浴びた。不透明な利権を排し、無責任な放漫経営体質を改める目的で、2001年小泉内閣発足とともに民営化の議論が始まった。

1987年に行われた国鉄、電電公社、専売公社の民営化を上回る、後最大規模の改革とも言われた。その目的は不透明な金の動きになっていた財政投融資を廃止することにあった。これにより約340兆円という潤沢な郵貯資金を特殊法人などに代表される政府機関ではなく、個人や民間企業に融資できるようにすること。このことが結果的には日本経済の活性化がはかれる。加えて民間になれば税収がある。また株式の売却で得られる収益によって財政再建もはかれるというものだ。

2001年度から郵貯や年金は、金融市場で自主的な運用に切り替わり、公団や公庫などの特殊法人は主に独自の債権を発行するなど金融市場から資金を調達する仕組みになった。

2007年10月に日本郵政公社は解散し、総資産338兆円、従業員24万人を抱える大企業になった。日本郵政㈱が持ち株会社となり、これまでの三つの事業をそれぞれ郵便事業㈱、㈱ゆうちょ銀行、㈱かんぽ生命保険とし、この3社からの委託による郵便局での窓口業務を行う郵便局㈱が誕生した。

特殊法人では道路関連四公団が槍玉に上がった。四公団とは日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡橋公団だ。これらは2005年(平成17年)10月に民営化され株式法人となった。郵政民営化の議論が長期化したため道路関連四公団が先に民営化した。

郵政民営化には自民党議員だけでなく閣僚からも反対があった。それに対し小泉元首相は断固とした態度をとった。

2005年8月8日 自民党執行部の党議拘束にもかかわらず多数の自民党国会議員が郵政民営化はサービスの低下につながるとして反対に回った。役員会で衆議院で反対票を投じた全議員に自由民主党の公認を与えず、賛成派候補を擁立することを命じた。

その後の臨時閣議で島村農水相、麻生総務相、中川経産相、村上政治行政改革担当相の四閣僚が解散に反対する意見を述べたため各閣僚を別室に呼び個別に説得した。しかいし、島村農水相は最後まで解散勅書への署名を拒否し辞表を提出したが、これを受理せず閣議を中断して天皇の認証を得て島村農水相を罷免、首相自身が農水相を兼務して解散詔書を閣議決定し、解散した。

こ2005年9月11日の選挙で造反議員のほとんどが落選したが、自民党は480議席のうち327議席と3分の2以上の議席を確保した。 その結果10月14日、郵政法案は国会で可決され、成立した。

このような背景と経緯があって新会社は動いている。肥大化した官製の金融を民間お手にゆだね、資金の流れを効率化していく改革はこれからの日本経済にとって重要なことである。

国民の圧倒的な賛意を受けて民営化を実現させたのに、なぜ郵政・金融相は凍結や後戻りをさせるような発言をするのか。官製に逆戻りをすれば、それこそ金融機関同士の公平な環境つくりに反するばかりでなく、官による民業圧迫になりかねない。

民主党は、官から民への改革を進める意思があるのだろうか。このことについて民主党の考えを説明すべきだ。

イメージ 1

ニュースを聞いて耳を疑った。金融担当相が資金繰りに困った中小・零細企業や個人が借金の返済を3年程度先送りできる制度をつくるというものだ。金融機関の貸し渋りや貸しはがしが多いからだということのようだ。

もともと融資は貸手の金融機関と借り手の契約関係で成り立っていることは誰でも知っている。にもかかわらず、途中で都合が都合が悪くなったから、契約内容を変えられるという法律をつくるというのだ。中小・零細企業の債務や個人の住宅ローン債務を、返済期間を延ばしたり、貸付条件を変えたりできる法律のようだ。

政権を獲ったとたんに独裁者のようになってしまったのではないかと感じさせられる。選挙で選ばれて権力を握ったのだから何をしてもいいと錯覚をしているのか。それとも経済の知識がないのだろうか。社まさか金融担当相にそんなことはないと思いたいがどうなんだろう。会主義の国ならいざ知らず、資本主義社会ではありえないことではないのか。

経済がよくなるわけではない。景気刺激策が必要なのだ。3年で景気が回復するという見込みがあるのだろうか。結局借り手のために民間の金融機関や信用金庫が犠牲になるということでなないか。このようなことをすればかえって金融不安を起こしかねないのではないか。金融機関は貸し出しにますます慎重にならざるをえないだえろう。借り手は借り得のような気になりかねない。

今回のように世界金融危機では、借り手を支援する措置は必要かもしれない。しかしそれは公的な措置がとられるべきではないのだろうか。ただ公的支援も良し悪しだ。ちょうどバブル期に多くの銀行を救済し似ている。結局いくつかの銀行は消えていったがまだ多すぎるのかもしれない。本来は、淘汰されたり整理されるべきであったのに、延命させてしまったのではないのか。そのことが今だ尾を引いているのだ。今回も同じことになりかねない。企業の資金繰りが難しくなったのは、金融危機による一時的なものなのか、経営上の問題なのかどのように判断するのか。そのようなことが技術的に可能なのか。

新政権は不安を振りまいているように思える。とにかく唐突なのだ。温暖化ガス排出量の目標値をを25%としたり、郵政民営化の見直し、労働者派遣法の見直し、大型ダムの建設中止などの詳細の説明がまったくない。国民に向けて具体的に説明すべきだ。近視眼的な政策は後々の反動が怖い。もっと専門家の意見を取り入れたり、関係者から聴取したりしてから、国民が納得できる政策を提案をして欲しい

イメージ 1

新閣僚の記者会見が深夜行われた今までのような官僚の書いた文章を読み上げるだけの会見はやらないと言っていた。しかし、これまでど変わり映えはしなかった。当然かもしれない。突然大臣になって国民を納得させるだけの内容のある話ができるわけがない。
今何が問題か、どのように解決するつもりなのかなど具体的にはなすべきだ。それこそ官僚からレクチャーをうけて話して何が悪いのか。官僚が一番詳しいのだ。選挙公約で取り上げたことしか話していなかった。

個別の大臣の経歴を見ると、担当する分野の経験はまったくない。それでも大臣になれるのだ。記者の質問の答えは誰にでも答えられるレベルの内容だ。記者の質問もおざなりだ。質問の内容に鋭さがない。ひきつけられるものがない。担当分野の詳細をまったく知らない大臣に期待するような回答を期待するほうが無理なのだ。これでは国民を代弁している質問ととは言えない。マスコミのレベルアップも課題だ。

この記者会見を見ているだけでは政権交代への期待をするのは無理だ。しかし政治主導を感じさせるところはなにもない。当たり前のことしか言っていないのである。政治家はよくしゃべるが中身がないのである。

なかには軽はずみな発言をしてため、為替が円高になったり金融株が下がったりした。自分の発言がどのような影響を与えるか分からないのだろうか。とくにこの時期、経済界へのマイナスの影響は極力避けるべきだ。

記者会見のあり方も問題だ。司会者の手際に悪さと、記者の強引さに押し切られていつまで質問を許してしまう。大臣は後のことは考えずいつまでも中身のない話を続ける。意味のない記者会見だ。記者は事前に質問内容をまとめておき代表者が質問をすればよい。とにかく儀式なのだから短時間ですませてもよいのではないか。

とにかく今日は顔見世なのだから質問はやめればいい。官僚の書いた文章を読み上げるだけにして記者会見は別途時間をとってやればよい。しかし、時間が経っても期待するほど内容のある話は聞けないことは間違いない。しかし、時間が経てば本音が出るであろう。その本音を聞きたいものだ。

記者会見を聞いての印象は、大臣のあり方が分からなくなってしまう。まったくの素人でも務まるのか。この会見を聴いた官僚はどのように感じ、何を思うか、本音を聞いてみたいものです。

とにかく国民は民主党に期待したが、信頼したわけではない。とにかくこの国をどのように作り変えようとしているのか。もっと具体的で分かりやすく説明して欲しい。さっぱり伝わっていないのだ。国民は期待が大きいだけに成果を見えなかったり、遅れたりしたら反発するだろう。とにかく政治家は説明が下手だ。分からせようとしていないのも事実だ。国民のことをあまり重視していないためだ。政治家は自分を目立たせるようとしているように見受けられる。だからテレビのお笑い番組にでもなんの迷いもなく出てしまうのだ。

自民党はすっかり元気がなくなってしまったが落ち込んでいる場合ではない。参議院選挙を目指してがんばるしかない。追求する材料に事欠かないのだ。公約を実施した場合のマイナス点や財源問題、それとなんとなくうやくやになっている首相と幹事長の献金門だなどはっきりさせるべきだ。

国民ももっと政治家に厳しい目を向けるべきだ。自民でも民主でもどちらに対してもだ。選挙が終わると無関心になってします。今後も政治家がこの体たらくでいるとすると国民はかなり厳しい状況におかれることになる。政治家はこのことを自覚して行動すべきだ。

↑このページのトップヘ