政権交代をしてからの混乱が続いている。これが内閣支持率を下げている原因だ。その理由は首相の指導力不足と政策のづれのある政党との連立政権だ。さらに国連で唐突にCO2の削減目標を表明したり、普天間基地の移設で5月までに結論を出すと言いながら、具体策が出てこなかったり、北方四島との一括変換を求めると言ってみたり、昨年末に突然のようにインドを訪問したりと国内で混乱を引き起こしているのに優先順序も示されないままに、外交問題に手をつけている。すべて言い放しの印象が残る。
国家ビジョンがない政策は、整合性も一貫性のないままに進められる。したがって各閣僚は勝手な発言を繰り返し、物議をかもしている。また、首相の自らの発言が「ぶれ」続けている。子ども手当はムダを削って余裕ができた分だけやる。普天間基地移設問題では、日米合意が前提と言っておきながら、合意が前提なら作業部会は作らないと言った。検察の幹事長への捜査に対しては、どうぞ戦ってくださいと言っておきながら、後日検察への圧力の意図はないと言う。かつて秘書犯した罪は政治家が罰をうけるべきだと言っておきながら、秘書と自分が同じ罰を受けると言ってはいないと否定などなど。これではうまくいくわけがない。
思いつきかと思わせるような公約の中身のお粗末さは、政治に対する責任感のあり方が問われるものである。首相の発言の軽さも責任感の欠如の表れと見られても仕方がないない。また、政治とカネの問題は、過去にも数多くおきてきた。税金の節約をうたう政治家が、脱税をしながら知らなかったの一言で済まそうとする無責任さをそのままにしておいてよいのだろうか。
前から感じていたが、これらのことは政治家の世襲制に問題があるのではないだうかということです。選挙で当選するためには、ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)と3つのバンが必要といわれてきた。地盤は親から引き継いだ支持者の組織、看板は、知名度だ。鞄は選挙資金だ。本来政治家は、優れた政策や資質、能力で選ばれるべきなのに、実際は後援会組織の強さや、高い知名度、選挙資金の多寡に頼っている場合が多い。そのほか知名度の高い芸能人やスポーツマンは無党派層の支持を受けることがあるがこのことは別の問題を生む。
世襲制の政治家は、どこが問題なのか。政治家という独特の環境の中で育った人間が、真の民意を理解できるのだろうかという疑問が残る。あまりにも世間と隔離された世界で、どの程度社会の実態が分かるっているのだろうか。だからといって世襲でない政治家が優れて国民のための役割を果たせるのかどうかも分からない。しかし、世襲の政治家ばかりが集った国会運営は、偏ったものとなり決して望ましいとはいえない。むしろ多様な経験を経た政治家によることが望ましいのではないだろうか。それと官僚を目の敵にしているがこのことは国にとって大きな損失だ。優秀な官僚を使い切れない政治家は失格とさえ思う。
民主党の幹事長は今夏の参議院選挙に勝つことを優先し、陳情を人質に民主党への投票を確約させるといった強引な手を使っている。しかし、政権をとって何をしたいのか明確ではない。戦況に勝つための大儀があるのかないのか判然としない。最近はマスコミの政権支持率調査が頻繁に行われるようになった。政治家はこの結果を意識するようになった。日々の国政に国民が反応できる唯一の方法だ。望ましいことだ。それにしても政治家と政治の質を上げる方策が必要だ。早急にその方策を作り上げたいものだ。
国家ビジョンがない政策は、整合性も一貫性のないままに進められる。したがって各閣僚は勝手な発言を繰り返し、物議をかもしている。また、首相の自らの発言が「ぶれ」続けている。子ども手当はムダを削って余裕ができた分だけやる。普天間基地移設問題では、日米合意が前提と言っておきながら、合意が前提なら作業部会は作らないと言った。検察の幹事長への捜査に対しては、どうぞ戦ってくださいと言っておきながら、後日検察への圧力の意図はないと言う。かつて秘書犯した罪は政治家が罰をうけるべきだと言っておきながら、秘書と自分が同じ罰を受けると言ってはいないと否定などなど。これではうまくいくわけがない。
思いつきかと思わせるような公約の中身のお粗末さは、政治に対する責任感のあり方が問われるものである。首相の発言の軽さも責任感の欠如の表れと見られても仕方がないない。また、政治とカネの問題は、過去にも数多くおきてきた。税金の節約をうたう政治家が、脱税をしながら知らなかったの一言で済まそうとする無責任さをそのままにしておいてよいのだろうか。
前から感じていたが、これらのことは政治家の世襲制に問題があるのではないだうかということです。選挙で当選するためには、ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)と3つのバンが必要といわれてきた。地盤は親から引き継いだ支持者の組織、看板は、知名度だ。鞄は選挙資金だ。本来政治家は、優れた政策や資質、能力で選ばれるべきなのに、実際は後援会組織の強さや、高い知名度、選挙資金の多寡に頼っている場合が多い。そのほか知名度の高い芸能人やスポーツマンは無党派層の支持を受けることがあるがこのことは別の問題を生む。
世襲制の政治家は、どこが問題なのか。政治家という独特の環境の中で育った人間が、真の民意を理解できるのだろうかという疑問が残る。あまりにも世間と隔離された世界で、どの程度社会の実態が分かるっているのだろうか。だからといって世襲でない政治家が優れて国民のための役割を果たせるのかどうかも分からない。しかし、世襲の政治家ばかりが集った国会運営は、偏ったものとなり決して望ましいとはいえない。むしろ多様な経験を経た政治家によることが望ましいのではないだろうか。それと官僚を目の敵にしているがこのことは国にとって大きな損失だ。優秀な官僚を使い切れない政治家は失格とさえ思う。
民主党の幹事長は今夏の参議院選挙に勝つことを優先し、陳情を人質に民主党への投票を確約させるといった強引な手を使っている。しかし、政権をとって何をしたいのか明確ではない。戦況に勝つための大儀があるのかないのか判然としない。最近はマスコミの政権支持率調査が頻繁に行われるようになった。政治家はこの結果を意識するようになった。日々の国政に国民が反応できる唯一の方法だ。望ましいことだ。それにしても政治家と政治の質を上げる方策が必要だ。早急にその方策を作り上げたいものだ。