2010年05月

昨日、首相は、普天間基地移設問題の移設先案に反対する福島大臣を罷免した。首相は、普天間基地の移転先を最低でも沖縄県外と繰り返し述べてきたが、結局アメリカ側に押し切られ、ほぼ前政権と同じ案に決めた。社民党は、当初から国外移転を強力に推し進めてきたこともあり最後まで妥協をしなかった。8ヶ月間の混乱は、沖縄県民と徳之島住民からの怒りをかい、国民に大きな失望感を与えるだけにとどまってしまった。

しかしこれで福島党首の支持は高まるだろう。ただ、このまま連立政権を維持するようなことがあればむしろ反発を買うことになるが、毅然として連立政権を離脱すれば多くの国民から支持を得られるだろう。しかし、閣外協力を模索したり、民主党との選挙協力の動きがあるようだ。

そんな時、郵政民営化を見直す郵政改革法案が衆議院総務委員会で審議入りし、与党の賛成多数で可決された。国の金融政策に関わる重要法案が、たった1時間足らずの審議で強行採決してしまった。この強引な採決は、結局連立を組む国民新党の党存続をかけた参院選挙対策のためである。

民主党は、すべてのことが夏の参議院選挙を意識しているものだ。そのことを最も表しているのが陳情のルールだ。陳情は、国会議員や地方組織、地方自治体、業界団体が、政府や省庁へ行うものだ。すべての陳情は、民主党幹事長室意外では受け付けないというものだ。陳情は、参議院選挙への協力如何で対応が変るのだ。陳情が受け入れられるのは、参議院選で民主党へ投票することが条件なのだ。

また昨年の衆議院選で多くの新人議員が誕生したが、政策に関心を持つ彼らに、時間があれば地元に帰って選挙活動をするよう支持したと言われている、

混乱続きの国会運営が民主党への支持率を急落させている。有権者は無党派層が40%を占めているが、参議院選は、この無党派層の票が決めてになる。昨年の衆議院選では無党派層の支持を得られたが今回はそうはいかない。恐らくこのまま参議院選を迎えると、与党は過半数を得られないだろう。そこで小沢幹事長は組織票に狙いを定めた。かつて自民党を支持してきた業界団体などの切り崩しをはかった。当然政権政党を支持しなくては、業界団体の要望を聞き入れられない。そこをついて次々と業界団と接触をはかってきた。経済界、農業、医師・薬剤師、労働組合などである。

さらに参議院選は、選挙区と比例区で投票が行われるが、選挙区では個人名で、比例区では個人名または政党名で投票する。そのため比例区には、各界の有名人が名を連ねる。ではなぜ政治に触れたことも関わったこともない有名人を擁立するのだろうか。

実は、そこにも戦略がある。有名人というだけではないのだ。彼らは、オリンピック代表の女子体操選手や女子スピードスケート選手、男子スキー複合メダリスト、女子柔道メダリストなどである。したがってスポーツ連盟に所属し、支援を受けてきたのだ。その組織票を狙っているのだ。女優やプロ野球選手もボランティアど何らかの組織に関連した活動実績があるのだ。

小沢幹事長は、これまで自由民主党、新政党、自由党そして民主党などを経てきた。この間壊し屋などの異名をとりながらも新党を立ち上げたり、今回のように政権交代を果たしてきた。しかし、選挙戦は熱心に戦うが、いったい小沢幹事長はなんおために政権を維持しようとしているのかが分からない。現在も党の運営を中心に活動し、選挙に不利な政策が進められると注文をつけるにすぎない。積極的に政策の立案に参加しているようには見受けられない。

恐らく夏の参議院選挙で苦戦は覚悟しているが、課題はいかに落ちをすくなくするかだろう。仮に現与党で過半数を得られなかった場合は、連立の相手探しをするだろう。ひょっとすると、かつて社会党の党首が首相になって驚かされたが、それと同じことが起こる可能性もある。

しかし、普天間問題では、連立を組んだ政党と政策協議がまったく行われていなかったことが露呈した。とにかく政権をとればよいという曖昧な考えであったのだ。また選挙公約も次々と見直しをせざるを得ない状況になっているが、これらをみていると政策立案能力に首を傾げたくなる。

国民は、公約を守れない民主党や、再生の気配を感じられない自民党にすっかり政治不信に陥っている。ではどのようにして日本を再生させればよいのか。その一つに地方分権がある。かつては官僚上がりの知事が多かったが今の知事の顔ぶれは多彩になってきた。このことからみても早急に地方分権へ移行すべきである。これが一番の政治改革だ。

連日マスメディアは沖縄の普天間基地移設問題を伝えているが、何ら進展のない内容ばかりだ。それどころか移設先は自民党案に逆戻りしてしまった。移転先を最低でも県外とは、腹案があると自信たっぷりな言い方をしていたのに現行案と同じとは言うべき言葉もない。結局何も考えていなかったのかと言われても仕方のないことだ。また移転先は、関係者と協議しながら探していたのだろうか。どうもそのようには見受けられないが。

驚いたのは連立政権の閣僚である社民党党首が沖縄県知事を訪ねて、一緒に内閣の方針に反対しようと言っていたことだ。移設地の受け入れ要請に行くのなら分かるが、一緒に反対しようとは理解できない。内閣不一致どころではない。大臣罷免に値する言動だ。どうやら沖縄へ出かけたのは党首としての立場であって閣僚としてではないと言いたかったようだ。しかし、党首であると同時に閣僚の一員なのだから内閣の方針に反対ならば閣僚を辞任し、連立を解消すべきではないのか。

首相はもっと極端で、党代表の発言と党の公約は違うと述べた。基地の県外移転は党の公約ではなく、代表の発言だと、わけの分からない説明をしていたが、党代表の発言と党の公約が異なっていては党は成り立たなくなってしまう。二人の言い訳は、一般的には通らないだろう。

それにしても沖縄県知事は、社民党党首に訪ねてこられ面談を断るわけにもいかす困ったのではなかろうか。それにこの大臣何を考えているのかと、理解に苦しんだのかもしれない。首相が普天間基地の移設先をほぼ現行案通りに決めたといっているのに、閣僚がのこのこ出向いてきて自分は反対すると言うために来たのだ。知事は、自分を訪ねるより首相との協議を優先させて欲しいと言いたかったのではなかろうか。

この党首は、いつもよくしゃべるが、何を言いたいのかがまったく分からない。今回も普天間基地の移設先に反対しているようだが、当然解決策の代案があるはずだが、一向に示さずただ反対と言っているだけのように見受けられる。

鳩山政権は、国民のことをそっちのけにして連立政権の維持と参議院選挙対策だけになてしまった。マニフェストと称した選挙公約の多くが行き詰まりの様相を呈している。暫定税率の廃止や高速道路料金の無料化は棚上げされたし、子ども手当は、効果に疑問が多いことや財源のめどが立たたないため見直しを迫られているようだ。なぜか今ではマニフェストの言葉は聞こえてこなくなった。政治運営に暗雲漂い始めた。

当初から不安視されていた財源確保は、事業仕分けでムダ見つけるはずであったが、見込みは大きく外れた。そこで方針を変えて構造的な問題を指摘しようとしたが、コピー代が高すぎるといったような議論では構造改革には程遠い。沼のヘドロをかき回しているようでは浄化はできない。

それにしてもマスコミにも責任がある。目先の細かい問題点ばかり取り上げているがもっと根本的な改善点を指摘すべきだ。例えば道路や空港事業は、個別の採算を明らかにしないまま、全体の採算がとれるうな事業構造を保っている。そのため利用が少ないため赤字を抱えている空港が多いのだ。これを解消するには法律を変えるしかない。かつて国鉄は民営化することによって赤字路線を無くしていった。

また公益法人は、それぞれの分野の技術の向上や人材育成など基礎的な基盤を強化し、国際水準に達することを支援するためにもうけられたものだ。元来利益より公益性を優先する組織なのだ。
そのため税制上の優遇措置や会計上の監査は免除されてきた。そのおかげもあって日本は先進国になった。実はかなり以前から公益法人の割は終わっていたのだ。しかし。特典が残されたままなので無駄が発生しているのだ。不要な公益法人は廃止し、必要な組織は株式法人に代えるべきなのだ。こんなことは関係者はとっくに知っていたことなのだ。しかし天下り先としての受け皿であったため守られていたのだ。したがって公務員制度改革を実行しないと公益法人を無くすことは難しいのだ。

それにしても公開処刑のようなことはやめるべきだ。ニュースで見ていると嫌な気分になってくる。公開の場へ引っ張り出された関係者はえらい迷惑なことだ。攻める側が優位なのは当たり前だ。得意げに攻める側に答える関係者は、例えば改善すべきだと指摘されても根本的に変えることができるのは政治家なのだ。一方攻めている側には何の拘束力もないのだ。これ以上の茶番はない。

そんなとき今国会で郵政民営化見直し法案を強引に成立させようとしている。ほとんど国会で審議しないままにだ。亀井大臣の国民新党は、郵政関係者に支えられている。少数政党の国民新党は間近に控えた参議院選挙でどうしても郵政関係者の票が必要なのだ。多くの専門家がこの法案がいかに多くの問題点があるかを指摘している。

これに対して亀井大臣は、政府の言うことはすべて正しい、反対意見は間違っているし妨害だと息巻いている。この法案は日本を駄目にしかねないものなのだ。形は民営化でも実態は国営と同じで、多くの特典を与えるため保険や銀行などの金融機関の経営を圧迫してしまうのだ。とくに国債の受け皿になるため財政赤字を一層拡大してしまうい、無駄な公共事業を増やすことになる。

鳩山政権は混乱だけの印象を与えながら将来の姿を示せないまま8ヶ月がすぎた。この間首相と政権政党の幹事長の政治とカネの問題がすべてに影響を与え、国会審議を大きく遅らせた。軽さばかりが目立つ首相の指導力の欠如も混乱の基になっている。

政治と政治家の質の低さを見せ付けられた今、政治に求めることは、国会議員の定数を大幅に削減し、参議院の役割を見直すことと、地方に権限と財源を与える地方分権の促進だ。夏の参議院選挙に向けて各党の候補者の名前が伝えられているが、ほとんどが政治に関わったことのない有名人だ。こんな人寄せパンダのようなことを続けていて政治家の質が上がるわけがない。結局政治の質を上げるのは国民なのだ。選挙には心して投票すべきだ。

占領下にあった沖縄がアメリカから返還されて5月15日で36年経った。戦後65年になるが沖縄は相変わらず基地問題に悩まされている。

第二次世界大戦で日本が敗れたのは1945(昭和20)年。沖縄は、この年から1972年まで27年間にわたってアメリカの占領下に置かれた。1950年代から60年代にかけて東西冷戦が過熱していった。そのような中、沖縄の米軍基地は、ソ連、中国、北朝鮮などの東側諸国に対する抑止力としての機能を高めていった。そして1960年に勃発したベトナム戦争時には、爆撃機拠点と後方支援基地として重要性を増し沖縄はアメリカにとって手放せない基地になってしまった。

現在日本の米軍基地は、軍事力を強化している中国と北朝鮮に対する抑止力となっているという。一方で、かつて日本に侵略をされ辛酸をなめた中国やアジア諸国は、日本が軍事力を強化して再び侵略行動を取るのではないかという不信感を持っている。そのため米軍の日本での駐留は、中国やアジア諸国にとって日本の侵略行動への抑止力になっているのだ。

まずは、このようなこと全てを含めた日本の安全保障の問題をきちんと議論すべきである。報道によると、アメリカ政府は、米軍の基地問題に対する日本政府の考え方が全く分からないと思っているという。基地問題は普天間基地の移転先を探すことなのかと言いたくなる。

話しを戦後に戻す。アメリカの占領下の沖縄で、米軍は強制的に基地を増強する一方、米軍兵士による悪質な事件が頻発し、沖縄県民の死傷者が相次いだ。沖縄県民に対する不当な扱いに対し当然基地反対運動が強化され、このままの状態は適当でないと日米双方の合意に基づいて1972年5月15日に日本へ復帰した。

長年の沖縄での米軍基地の存在は、沖縄経済の成長の阻害要因になってきたともいえる。2007年度の沖縄県の1人当たり民所得は、204万9千円と全国最下位でトップの東京都は沖縄県の2.2倍だ。これまで基地に依存する経済から抜け出すことが課題とされてきたが、沖縄県の統計によると、県民総所得に占める基地従業員の給与や米軍の借地料など基地に関連した収入の割合は、1972年の復帰当時が15.5%だったものが38年で5%へと3分の1にで減った。

産業別人口では、観光を中心とした第3次産業の割合が東京都についで2番目に高い。観光に関連した収入は、復帰当時の6.5%から約10%に伸び、基地に代わる収入として期待が集る。

沖縄県は今年3月に長期構想を策定した。それによると20年後の2030年には大規模な基地の返還を実現させ、経済的な自立をはかるため、環境を中心にIT産業の育成につとめるとある。

雇用力のある産業がないこともあって沖縄県内の完全失業率は、2009年の平均は7.5%と全国一である。かつては基地への経済的依存度が高かったが、徐々にではあるが改善の傾向が見られる。今後は成長著しい中国との関係を深める政策も考えられる。このことは、一に米軍の基地を引き受けざるを得なかった沖縄の経済的な成長を、国が率先して支援すべきである。

沖縄県にあるアメリカ軍基地は、県全体の約10%を、沖縄本島だけでみると約18%を占めている。また沖縄県の人口は約138人。そこにアメリカ兵が2万4千人駐留している。

昨年首相は、普天間基地の移設を12月までに結論を出すとはっきり表明したにもかかわらず、12月の末になっても結を出せなかった。すると首相は、期日は法律で決まったものではないと開き直った。さらに5月には地元からも、米政府からも、連立を組む党からも了解を得られる案を示すと明言したが、一向に進展は見られず、解決への筋道を示すこともなく当たり前のように先送りをするようようだ。。

閣僚も、連立政党も、5月に結論を出す必要はないと懸命に言いつくろっている。選挙間近ということもあって政権維持と、連立の2政党は自党の存続に必死だ。

基地移設問題のまとめ役と調整役を官房長官に指名したのはいささか疑問に思う。
官房長官は、徳之島の受け入れ推進派の関係者に会っているが、反対派は余計に態度を硬化するだろう。かつてのダム問題を思い浮かべる。ダム建設予定地の住民は、新聞によってダム建設候補地になっていることを知った。地元は団結するため建設省との接触を一切絶った。ところが国は、ダム建設賛成派を有利な補償条件で抱き込み反対派の分裂をはかった。徳之島でそのようにならなければ良いが。

普天間をどこに持っていくかで右往左往しているが、基地問題の本質をもっと議論すべきだ。それと防衛省や外務省はアメリカ政府とどの程度話し合っているのだろうか。そのことがさっぱり聞こえてこない。

自民党と合意しの沖縄基地の一部返還や、普天間基地移設に伴って、在沖縄海兵隊8,000人のグアム移転方針も実現が不透明になっている。普天間基地がそのままの状態になる恐れもある。さまざまな政策が次々と先送りになっている現状が、次の参議院選挙でどのように反映されるのか、国民の責任も大きい。

日本が模範としているイギリスの政治体制が揺らぎ、長年続いた2大政党制が崩れた。5月に行われた総選挙で最大野党の民主党が第1党となった。労働党のブラウン首相が辞任を表明したため13年ぶりに政権交代が行われることになった。しかし、民主党は過半数の議席を確保していないため第3党の自由民主党との連立を組むことになった。連立政権は第二次世界戦後初めてだ。国民は変革を求めているのだ。イギリス政治の転換点ともいえる。しかし、きっかけは政策とは関係のない出来事だった。

イギリスでは戦後65年、労働党と保守党が政権交代を繰り返してきた。一向に景気回復の兆しが見えず国民が苛立っているとき、治とカネの問題が持ち上がった。そして選挙の直前に起きた首相の失言が政治への不信感を強めてしまった。そこで第3の党の自由民主党への期待が高まったいった。その底流にあるものは惰性に流されている政治への不満だ。

イギリスで政治とカネが問題になったのは、下院議員に認められている350万円の住宅手当制度だ。議員は、議会に経費を請求すればほとんど審査もなくほぼ自動的に承認されてきた。ここからこの出来事を書きつなげるが、言いたいことはどんなことでも長く続けていると堕落していくということです。

昨年5月にイギリスの与野党議員による経費の不適切な使い方が暴露されスキャンダルになった。与党労働党の閣僚の一人である司法政務次官が辞任し、下院議長が事態の責任をとって辞任を表明した。下院議長が任期中に辞任するのは314年ぶりのことだそうだ。

ことの発端は、2005年に一人のジャーナリストが議員の経費の情報公開を求めたことにある。このことはマスコミの大事な役割だ。昨年7月に全て公開されることになっていたが、秘密裏に入手した経費資料を英国最大の新聞「デーリー・テレグラフ」がスクープしたのだ。その内容を見た英国国民は黙っていなかった。国民が、不況で厳しい経済環境下で生活を強いられているのに議員は庭の手入れやペットの世話、両親のための家財の購入、架空使用するなど経費の不適切な使用が次々と明るみになっっていった。

この手当の細かい使いみちは、これまでの慣習として明らかにされてこなかった。また使いみちの禁止事項も規定されていなかった。したがって不適切な経費請求を指摘された議員たちは違法行為ではないと申し開きをした。特権と伝統に胡坐をかき、まともな判断力や感覚が麻痺してしまったのだ。

イギリスの議会は、議会政治の手本とかジェントルマンのクラブとまで言われてきたが、ここここにいたって地に落ちてしまい、国民は政治に対する不信感を強めた。出来事の内容は違うが日本でも同じ状況といえる。

そんなとき選挙を1週間後に控えた4月28日労働党のブラウン首相は、遊説中に年金生活者の女性と対話し、移民政策など厳しく批判された後車に乗り込むと、なんて偏屈な女だなどとののしった。首相の胸につけていたマイクを通して録音されそのまま放映されてしまったためマスコミは一斉に批判をした。苦戦が続いていた与党・労働党にとっては大きな痛手となった。これも詰まらんといえばつまらない出来事だ。

翌日行われたテレビ党首討論の後の世論調査では、保守党が41%、自由民主党は32%、そして失言をした労働党のブラウン首相は25%だった。そして5月日に行われた総選挙の結果は、議席数で保守党が306(+108)、労働党が258(-98)、自由民主党が57(-5)議席であった。いづれも過半数に達しなかった。

戦後65年、労働党と保守党が政権交代を繰り返してきたイギリス政治の転換期となった。国民は変革を求めているのだ。自由民主党に改革への期待を持ったのだろう。選挙の結果は、最大野党の民主党が第1党になったが過半数までには至らなかった。そして注目を浴びた自由民主党は議席数を減らしてしまった。40%以上を占める無党派層も無難な選択をしたといえよう。 

かつてイギリスでは過去に今回と同じような状況になったことがる。今から36年前の1974年2月の総選挙で、労働党は過半数を得られず少数与党となり、その年の10月の選挙で辛うじて過半数の議席を確保した。連立政権を避けたのだ。

そこから10年遡った1964年の選挙で労働党は辛勝したが過半数に達しなかったた。2年後に選挙に踏み切り大勝した。同じことが起きたのだ。したがって今回も1年以内に再び総選挙が行われる可能性がでてきたと見る向きがあった。ところが戦後初の連立政権の誕生となった。連立政権の一致点は財政再建だが、選挙制度改革では違いが見られる。

5月6日の総選挙で期待してほど議席をとれなかった自民党にとって極めて重要な問題は選挙制度改革だ。以前から自民党は、現在の多数政党に有利な小選挙区制より、獲得票数が議席数により反映される比例代表制の導入を主張している。

実は今回の選挙でも得票率は高かったにも関わらす議席数は減ってしまったのだ。

           (議席数)             (得票率)
        2010年   2005年    2010年   2005年
  民主党   306     198       47.1    32.3
  労働党   258     356       29.3    36.3
  自民党    57      62       23.0    22.1

上の表で分かるように自由民主党は、得票率は23%であったのに対し、議席数は57と総議席数650に占める割合はわずかに8.8%に過ぎないのだ。

このことは小選挙区制では良く起こることである。したがって自由民主党は選挙制度を比例代表制に変えることを主張しているのだ。日本では衆議院選挙では小選挙区と比例代表制が組み合わさってる。この制度でも小選挙区で落ちても比例代表制で当選する議員が多いため毎回批判を受けている。また参議院選挙では

小選挙区制の特徴を現す例としてカナダの選挙がよく取り上げられる。1993年6月に前任者から首相を引き継ぎ、その年の11月に行われた下院議員選挙で169あった議席がわずか2議席になってしまい首相も落選してしまった。議会制民主主義が発達している先進国の政権与党がここまで壊滅的な敗北を喫した例はない。

日本でも昨年自民党政権から民主党の連立政権に交代した。自民党の長期政権の弊害がさまざまな形で現れたため、政治に改革を期待した国民は昨年の総選挙で政権交代を実現させた。

ところが首相と民主党の幹事長に政治とカネの疑惑が持ち上がってしまった。その後も選挙公約の実現のための財源不足が明らかになったり、公約の曖昧さから政策実行の段階で行き詰まりを見せてきた。一方で首相の指導力の欠如から政治は迷走し続け次第に内閣支持率は低下している。また連立政権も障害になっている。

そのため第3極と言われる党への期待が高まる気配を見せているが必ずしも躍進の様子は見られない。日本の参議院選挙は知名度の高く人気のある候補者を擁立するとその候補者に多く集った票がその党の当選者数を増やす仕組みになっているそのため人気者候補者を人寄せパンダと揶揄(やゆ)されてきた。

イギリスでも日本でも無党派層が40%以上を占め、この層がどのような判断をし、投票行動を取るかが決め手となっている。

かつて日本の野党は主張の違いから分裂していたが、1955年に護憲と反安保を掲げて社会党が統一した。これに危機感をもった財界の要請で、日本民主党と自由党が保守合同して自由民主党が誕生し、第一政党となりここで55年体制が出来上がった。形の上では二大政党制に見えるが、勢力比率は2:1であったため政権交代は不可能な状況であった。労働組合を支持基盤としてきた社会党は1960年代末期以降勢力を低下させていった。その後野党の民社党、共産党、公明党などいづれも自由民主党に対抗できる状況をつくれなかった。

1989年の東欧革命や1991年のソ連崩壊も日本の政党の構図を変えてきた。1993年8月細川連立内閣が誕生し、実質55年体制は終了した。自民党は1955年の結党以来38年間政権を維持してきたが、野党に転落してしまった。ここから日本の政治では連立政権が続き始めた。

このとき誕生した細川政権は、実に8政党・会派による連立だった。まぜ少数政党の細川党首が首相になったのか。それは小沢一郎の存在だ。なんといっても細川護煕の血筋が良い。小沢はここに目をつけた。細川は、参議2期、知事2期、日本新党1期、衆議院初当選という程度の政治経験だった。しかし政界再編、新党運動の先駆者ではあった。細川家は旧熊本藩主で公爵である。また細川は、元首相・公爵近衛文麿の孫という家系の威光をもち、国民的人気も高かった。

そのときの連立政権の構成は、新党さきがけ(武村正義)、新生党(羽田孜)、社会党(山花貞夫),公明党(石田幸四郎)、民社党(大内啓五)、社会民主連合(江田五月)、日本新党(細川護煕)、民主改革連合であった。 

深夜、唐突に国民福祉税を発表したり、カネの問題が明らかになったため細川首相は辞任をした。1994年4月に羽田内閣が誕生したが社会党が離脱したため少数党与党内閣となったため64日間で自発的に内閣総辞職をした。

以後衆議院選では短時過半数や絶対安定多数を獲得しながら参議院で単独過半数を得る政党が生まれなかった。現在鳩山政権も連立だが、少数政党に振り回されている。もっともこれは連立政権運営の難しさというよりも、連立を組む前の話し合いがほとんど行っていなかったことと、首相の指導力の無さによるものである。

かつて思いもよらない組み合わせの連立政権が生まれた。1994年に政権復帰を目指した自民党(河野洋平総裁)は、社会党(村山富市委員長)と新党さきがけ(武村正義)と連立を組み、村山が内閣総理大臣に就任した。村山内閣は1994年6月から1995年8月まで続いた。かつて正反対のイデオリギィーで対立していた両党が手を握った

村山首相は国会での所信表明演説で「自衛隊合憲」「日米安保堅持」を表明し、それまでの社会党の政策を大転換した。自衛隊の創設を記念する行事の観閲式で村山首相が壇上で閲兵をする姿には言葉がなかった。

細川政権から始まった連立政権は、第2次橋本内閣が単独で組閣をしたがそれ以降は続いている。単独政権が出来なくなった理由の背景には、国民の価値観の多様化がある。さらに自由主義と社会主義とか、資本家と労働者といった対立の構造がなくなったことにもよる。一つのイデオロギーで成り立っていた政党は存続出来なくなったのだ。労働組合が支持母体であった社会党が、労働組合の存在意義がなくなるとともに衰退したことが典型的だ。

代わって現れたのが無党派層だ。無党派層は政治に無関心ではない。既存政党や政治家に対して批判的なのだ。

NHKが5月7日に行った調査によると、政党支持率は、支持政党なしが44.4%、民主党が20.8%、自民党が17.9%、みんなの党が3.1%、公明党が、3.0%、共産党が2.2%となっている。連立を組んでいる2党は1%にも達していない。アメリカでも同じような状況である。

実は、イギリスを手本にしたというマニフェストも、イギリスでは課題が多く評価は低い。日本では民主党がマニフェストを前面に掲げて昨年の衆議院選挙を戦ったが、詰めの甘さが露呈し、次々を修正をしている。

このようにこれまでの政治がいろいろの点で否定されてきたが、今後どのような姿が望ましいかが模索され始めたばかりである。しかし、政治の形ばかり追求するのではなく、日本の将来像を示して欲しいものだ。その姿を明確に指さないままで、個別政策がうまく機能するわかがない。政治家は、政治の質を高める努力をしてもらいたいものだ。

政権交代して首相は、米軍普天間基地の移設先について最低でも県外と言い続けてきた。首相は国会や委員会で移設について腹案があると言った。5月4日に沖縄を訪問したので、具体案が発表されるかと期待したがなにも出てこなかった。

政府は普天間基地の機能の一部を鹿児島県徳之島へ移すとともに、現行案を修正して名護市のキャンプシュワブ沿岸部の浅瀬にくいを打ち込んで滑走路を建設する案で調整を進めていることが明らかになった。

普天間基地は住宅地に隣接していることもあって、飛行機が離着陸時に出す金属音は物凄いとしかいいようがない。それと墜落への恐怖心は相当なものだ。

その心配が現実になったのが50年前の事故だ。1959年6月うるま市(旧石川市)上空で米軍ジェット戦闘機が操縦不能になり、パイロットは空中で脱出したが、機体は小学校に墜落、炎上した。死者は小学生11人、住民6人、負傷者210人という惨事となった。事故直後から沖縄全域で反米感情が高まっていった。当時米軍は土地収用を強行していたため抗議行動は激しいものとなった。米軍から支払われた補償額は、被害者側の要求の1割程度にすぎなかった。このように米銀基地は沖縄の住民を苦しませ続けてきた。


沖縄の苦悩は、第二次世界大戦とともにある。1944年米軍は沖縄本島に上陸した。このときの戦闘で15万人以上ともいわれる住民が犠牲になった。当時の沖縄県の人口が約60万人だったから実に4分の1の一般市民が犠牲になった。東京大空襲での犠牲者より多かったとも言われているが、正確なところは把握されていない。しかし、このときから沖縄は戦争の後遺症に悩まされ続けている。

アメリカ軍による沖縄占領は、1954年から1972年5月15日の本土復帰まで27年間続いた。アメリカは沖縄を統治したのだ。この間米軍は沖縄住民に手ひどい仕打ちを繰り返してきた。 

1970年12月20日の未明に起きた交通事故でMPがとった事故処理について住民の不満が爆発した。これがゴザ暴動である。このとき約5000人の住民が嘉手納基地内に侵入し、施設に放火した。県民に逮捕者がでたが不起訴になった。騒動は夜明け前に自然におさまった。

暴動を引き起こした背景に二つの交通事故に対する米軍がとった行動がある。常日頃から差別的な扱いを受けてきた沖縄県民の怒りが爆発した。1つは、1963年に信号を無視した米軍人の車にはねられた中学生が死亡した事件。さらに1969年には泥酔運転していた米兵士が歩道を歩いていた女性をはねて死亡させた事件だ。両事件とも軍事裁判で無罪となった。 この扱いに対する不満が鬱積していたのだ。

その後1995年9月、3人の米兵が少女に暴行を加える事件が起きた。この事件の直後から普天間基地の移設に向けて動き出した。事件は明白であったにも関わらず実行犯である米兵は引き渡されなかった。日米地位協定では米兵がどのような事件を起こしても、起訴にならないと身柄は日本側に引き渡されないことになっているためだ。翌月この事件への抗議県民総決起集会が開かれ、約8万5千人が参加した。

基地移設は2002年に決まったが、2004年8月には米軍のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落し、炎上した。幸い夏休みであったため人的被害は、米軍乗員3名の負傷で終わった。米軍は事故現場を封鎖し、機体を搬出するまで日本側の関係者の立ち入りを禁止した。そのため日本の施設権、大学の自治権を侵害するものだと米軍へ抗議したが受け入れられず抗議は今も続いている。事故後の9月12日に事故現場で抗議集会が開かれ約3万人が参加している。なお沖縄県警は公訴いっぱいの3年間捜査を行ったが、ここでも日米地位協定の壁に阻まれ全容解明はならなかった。

米軍やその関係者による事件や事故が多発し、住民感情が悪化してきたため1996年橋本龍太郎首相はアメリカと普天間基地移設を協議し合意に達した。6年後の2002年に大差で初当選した名護市長が受け入れを表明した。(なお選挙結果は、当選 20,356票、 次点 11,148票であった。)

 そのためキャンプ・シュワブ水域内名護市周辺辺野古沿岸域への建設を政府方針とし閣議決定した。その後普天間飛行場代替施設の基本計画が策定された。その後2006年の市長選では条件付で協議に応じるとする市長が当選。(当選 16,764票、次点 11,029票)
2007年1月に名護市はV字形滑走路を沿岸部から沖合への移動を要求。翌月仲井真知事が名護市の修正案に同調する考えを表明した。

日米両政府は2006年名護市辺野古沿岸部を埋め2014年までに建設することを共同発表。ところが2010年1月の市長選挙で基地反対を表明した市長が賛成派とわずかな差で当選した。(当選 17,950票、次点 16,362票)

世界の警察を自負するアメリカは、戦略上日本は地形的に最も適しているのだ。まずソビエト連邦を中心とした共産主義国との冷戦が意識されるようになり、共産主義の防波堤とてし位置づけた。しかしソ連は1991年崩壊した。

しかしその間朝鮮戦争(1950年6月~1953年7月)、ベトナム戦争(1960年12月~1975年4月)への出撃の基地になった。以後、湾岸戦争(1991年1月~1991年2月)イラク戦争(2003年3月~)、アフガン侵攻(2001年10月~)の基地として機能してきた。かつての防波堤としての役割だけでなく、軍事基地としての役割を強めていった。

1991年にソ連邦が崩壊してからは、ロシア、中国、北朝鮮などを対象とし、アジア有事の際の最重要拠点としての役割を担っている。現在国内の米軍は横田基地に司令部を置き、地上要員役37,000人、洋上要員約13,000人である。。これは在韓米軍のほぼ2倍の勢力である。国内の基地は全体的には縮小されてきたが、沖縄に集注している。米軍専用施設に限ると沖縄県に74%が集注し、その面積は沖縄本島の約19%を占めている。 沖縄に駐留する海兵隊員は約1万8000人である

沖縄県以外の主な基地は、海軍のアジア、オセアニア諸国、ロシアの前方拠点となっている横須賀基地。極東地域の輸送中継基地で本州最大の米空軍基地となっている横田基地。ここには戦闘部隊はいない。キャンプ座間は司令部のみで実行部隊は駐屯していないが、極東有事の際には、アメリカ本土の部隊を受け入れるための施設が整備されて、580Mの滑走路を持つ。

沖縄の基地は、極東最大の空軍基地で世界第一級の戦闘航空団を置く嘉手納基地。ここには約18,000人のアメリカ人と約4,000人の日本人の要員がいる。そのほか米軍海兵隊が駐留する普天間基地。そして海兵隊が駐留する名護市のキャンプ・シュワブなどがある。

ところで首相は県外移転は選挙公約ではなかったとか、海兵隊の沖縄駐留が抑止力になるとは知らなかったという。首相の資質を云々されているが、それ以前の問題だ。国にとって最重要事項の一つである安全保障について何も考えていなかったということのようだ。

まず住宅地に隣接するため世界一危険な基地とまで言われている普天間の移設を実現することだ。自民党政権は10年以上にわたってアメリカ政府や米軍、地元などと調整しながらようやく現行案を策定した。国家間の合意で、しかも国防という重要事項をあっさりと反故にしてしまった責任は大きい。実現性の高い代案を持ってのことと誰しも受け止めたと思われるが、実際は事前の調整もない思いつきのような案しかもと合わせていなかったのだ。首相は、地元も、アメリカも、連立政権も合意する腹案があると明言していた。ここにいたって現行案以上の案が示されるのか疑問だ。

普天間基地の移設は場所探しで混乱しているが、国防上の問題として捉える必要がある。基地の必要性、重要性を国民が認識しなくては解決の糸口を見つけることはできない。

日本に米軍基地があることが抑止力につながるという。抑止力というのは不確定な要素が多く分かりにくいものだ。例えば日本が攻撃を受ける可能性があるのかとか、攻撃を受けたとき米軍がとる行動など国民には推測のしようがない。

ただ中国の国防費は21年間、毎年2桁の伸びを示しているとか、最近日本近海で中国海軍が活発な動きをしているといった情報は不安材料ではある。また北朝鮮は,人口2,200万人だが通常兵力は110万人、過去2回の核実験を行うなど軍事大国となっている。このような周辺状況の中で安全保障は、最悪のシナリオを想定して備えをすることだろう。ただ国内での米軍基地が抑止力になっているか否かは相手国の感じ方だ。

ただ日米同盟に亀裂が入ることを恐れているのは、アジア諸国だ。周辺国にとって日本の軍事力強化は、過去の経緯から大きな脅威を感じ取るものと思われる。そのため安定した日米同盟は、アジア・太平洋地域の安定にもつながるものだ。

これまで日本は安全保障について身近な問題として受け止めてこなかったように思われる。抑止力については政府もメディアも真剣に検証すべきだ。国内の米軍基地が抑止力となっていることとしても、ヘリコプターの墜落や米軍兵士の事件は許されるものではない。アメリカは加害者なのだから一緒になって移設問題を解決すべきである。民主党は、この問題について米政府にどの程度接触しているのかまったく分からない。

日本の米軍基地がアメリカの米軍再編の枠組みの中で基幹基地として組み込まれてしまっている。アジア・太平洋地域の安全よりもアフガンやイラクへの戦闘基地と役割が変ってしまっているのではないのか。もしそうだとすると日本に米軍基地を置くべきではないグアムなどへの移設を求めるべきだ。

この際アメリカ政府と真正面から向き合って日本の目指す方向をしっかりと伝えるべきだ。とは言っても閣内はまとまりがなくそれぞれが勝手な行動を取っているように見受けられる。まずは政府と党、連立党間、閣内などで議論を深め統一見解を打ち立てるべきだ。結論を持たないままに右往左往していても解決にはならない。普天間が現状のままになりかねない。恐らくアメリカからは首相や閣僚への不信感は相当強くなっているものと思われる。もはや頭の中は選挙のことしかないようでは国民からも見放されるであろう。

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