2011年11月

11月27日に大阪で知事と市長のダブル選挙が行われた。この選挙で維新の会の支持が民主や自民党を上回ってうえに民主、自民の支持層から40%から50%の票が流れたことが分かった。維新の会は既成政党のような組織からの支援は受けていない。
 
選挙戦で橋下候補は、対立候補者や支援する既成政党に向かって、何を守ろうとしているのか分からない、現状を変えたくないのかと激しく批判した。橋下候補に投票した有権者に最も求めていることを聞いてみると、59%が大阪再生と答えている。既成政党への不満もあるが変化への期待が高いことがよく分かる。
 
今回の選挙に対して各党の動きをみると、民主党は都構想の内容が固まっていないとして積極的な動きをみせていない。しかし国政への大きな足がかりをつくられたことへの危機感を募らせている。民主党は政権交代後地方選挙でことごとく敗退している。次期衆議院選挙でも苦戦が予想されるだけに維新の会の躍進に大きな脅威を感じている。民主党は選挙戦で対立候補を支援しただけにすぐに態度を変えるわけにはいかないのだろう。しかし今日野田首相は、参議院の予算委員会で都構想に関する質問に答えて、政府内でも具体的な検討に着手するとの方針を示した。
 
自民党も対立候補を支援したが、これだけ差をつけられると体裁など構っていられないのが本音だろう。維新の会には自民党から移った議員が多いこともあって、自民党の国会議員の間では維新の会との協力関係を進めるべきとの声が多い。
 
対立候補の支援の中心になっていた自民党大阪府連。会長は衆議院議員。都構想は大賛成、国会議員による議員連盟を年内にも立ち上げ都構想を検討すると述べた。今後府選出の国会議員にも参加を呼びかける方針。石原幹事長も府連が中心になって構想を練ることに同意したという。民意が賛成なら真剣に考えるべきと方針転換したのだ。
 
橋下候補は市長当選直後の会見で、都構想実現に向けて年内に国会議員が動かなければ近畿圏で国政に候補者を立てて勢力をつくり、法改正を実現すると述べた。このひと言が効いたのか、既成政党は維新の会との連携に向けて動き出した。
 
自民党大阪市議団は28日総会を開き、大阪都構想反対の姿勢を撤回し、推進に向けた議論に応じることを決めた。これまで大阪都構想は大阪市を解体するものだと反対の立場をとっていた大阪市幹部。市議団は今回の選挙で都構想は民意と受け止め、具体的な内容が提示されれば賛成することもありうると述べた。こうなると市議会の状況は変わる。市議会の議員定数は86。このうち維新の会が33議席、自民党は17議席、あわせると50議席で過半数の43議席を上回る。
 
橋下候補は選挙前から大阪市について既得権益の塊などと批判を繰り返してきた。当選直後の記者会見でも民意を無視する職員は市役所から去ってもらうと語った。公約は都構想のほかに政治の関与を強める教育基本条例の制定、わけの分からない補助金の見直し、およそ3万9千人いる職員を1万2千人削減、市長退職金の5割カット、市営の地下鉄とバスの民営化などである。
 
今年の夏、関西電力は東日本大震災の影響で関西地区も節電に要請したことに対して橋下候補は拒否をした。関西電力が安易に節電を要求する姿勢を批判したのだ。電力不足の詳細の説明を求めたが関西電力はそれに応えなかった。また大阪市は関西電力の筆頭株主。今後脱原発の圧力をかけていくものと思われる。
 
これまで橋下候補の姿勢に激しく反発してきた大阪市の幹部も態度を変えた。、現職市長が落選したうえに橋下候補が大量得票で当選したため、民意は変化を求めているとして、すっかりあきらめ顔のようだ。前回の市長選で平松市長は37万票を獲得したが、今回橋下候補はその2倍の75万票を集めた。
 
それに橋下候補の手法は、府庁で目の当たりにしているから分かっている。28日に開いた市の幹部会では新市長の受け入れが主題にし、新市長の意向を優先することを取り決めた。選挙戦で市役所をぶっつぶと叫んでいたことが効いたのか。民意の強さを改めて知らされた。
 
橋下手法と公約についていろいろ批判がでている。府と市はこれまでと違って協調体制が取れるようになったのだからいまさら都構想は必要ないという指摘もある。しかし市民は橋下候補の変革に対する姿勢と強いリーダーシップを支持している。
 
公明党は2009年の衆議院選で惨敗した。次期衆議院選で大阪地区で医師の会が候補者を擁立すれば影響は避けられないとみている。みんなの党は衆議院選と参議院選で善戦している。衆議院で4人、参議院で10人の国会議員を抱えている。維新の会と連携して第三極としての位置を狙っている。現職の衆議議員は4人とも関東を地盤としているため対立はしない。
 
既成政党は地域政党の人気にあやかろうとしているが、これでは政党の中味は何も変わらない。結局国民から支持を受ける政策を立案できるかどうかだ。いちまでたっても回復しない景気、財源不足で不安定な社会保障制度、主導権をとれない国際関係など課題ばかりだ。維新の会は一人の若いリーダが、変化を旗印に、明快な政策をもって引っ張っているのだ。政権の柱が党内融和と野党協調では支持が拡大するわけがない。

昨日、大阪で府知事選挙と大阪市長選挙が行われた。注目は投票率の高さ。特に市長選は前回より17.3ポポイン上回って60.9%、知事選でも3.9ポイント上回って52.8%。選挙への関心の高さがうかがえる。
 
選挙の結果は知事選、市長選ともに大阪維新の会の公認候補が圧勝した。大阪市長には橋下前大阪府知事が平松前市長を20万票以上の差をつけて当選。大阪府知事には新人7人が立候補したが松井前府議会議員で大阪維新の会幹事長が2位に75万票の大差をつけて当選した。松井は2003年4月自民党の公認を得て初当選し3回当選している。
 
橋下は2008(平成20)年、大阪府知事選に立候補し、自民党と公明党の地方組織の支援を受けて38歳で初当選。就任後大胆な歳出削減に取り組む。しかし議会との対立が続き、思い通りに政策を進めることができなかった。そこで二重行政の解消などと、府と市を再編する「大阪都構想」を掲げて、2010年4月自らが代表となって地域政党、「大阪維新の会」を立ち上げた。今回府知事に当選した松井一郎府議会議員が幹事長に就任した。
 
4月の統一地方選では府議会で過半数(59/109)を、大阪市議会(33/86)と堺市議会(13/62)では第1党を占めた。平松前市長は「大阪都構想」に反対の立場をとったため、実現のためには自らがトップになるしかないと任期を残して辞職。今回府知事選挙とダブル選挙を仕掛けた。
 
選挙前のメディアはこれほどの大差になるとは予想していなかった。大阪は経済の地盤地域が続いている。大阪市の生活保護世帯は自治体最多となっている。
今回の選挙は、この閉塞感を破ることへの期待感によるものである。ただ4年近い橋下知事のもとで景気回復を実感することはできていないことも事実だ。
 
各党は表向き、今回は地方選挙で国政には影響ないと述べているが橋下市長の出方に関心を持っていることは間違いない。ただ「大阪都構想」実現のためには地方自治法の改正が必要。国政が改正をしなけなれば、維新の会は国政に進出すると揺さぶりをかけている。みんなの党は早くから協力の姿勢を見せているが民主、自民ともに静観の構え。
 
大阪都構想は、まだ具体増が示されていない。これまで府と市は対立を続けてきた。市の力が強くなりすぎているのだろう。市は独自に、府は大阪市以外の区域を
担当するといったようにまったく連携がとられてこなかった。
 
今回の選挙で連携をとりやすくなった。水道事業の統合など二重行政の解消や、府と市が一体となった成長戦略の推進など数多くあるはず。これから大阪都構想の具体案が提示され議会で議論されることになる。都構想はこれまでも検討されてきた。長短あるが東京という事例があるのだから参考にできる。
 
ところで橋下前知事の議会対策を疑問視する向きは多い。政策を実現させるためには、過半数を占める自らの政党を持つしかないと考えるようになる。名古屋市と同じ行動だ。極端な例が鹿児島県の阿久根市。人口2万2000人。2009年に市長が改革案で議会と対立したためリコ―ルや選挙を繰り返して混乱を引きここした例がある。市長の提案する給料の引下げなど議会の改革案がことごとく議会で否決さてたためだ。
 
しかし地方議会は二元代表制といって、市長も議員も有権者が直接投票によって選ぶ。国会は、議員は国民が選ぶが首相は議員が選ぶ。地方議会は必ずしも市長の支持派ではないのだ。議会は市長の政治姿勢や政策を監視する役割がある。
 
それを、市長自らが政党を作って議会の過半数を占めてしまうと、監視の役割を失ってしまう。議会では議論によって合意形成を目指す場なのだ。自分の意見に従はないのは間違っていつという姿勢は好ましいものではないし、危うさを感じる。
 
今回に選挙は有権者が橋下候補の個性に魅かれたところが大きい。分かりやすい話し方、相手によって話の内容を変えるなど理解させようとする態度が功を奏した。大阪都構想という分かりにくい政策を、例をあげて話しかけていた。
 
今回の選挙で既成政党に対する不満が相当大きいいうことが分かった。一向に良くならない景気、社会保障制度に対する不信、将来の生活に対する不安は増すばかり。今我慢すれば将来は良くなるといった信頼される方針が示されれば安心感は広がる。政治は目先の問題でさえ解決できないでいる。この状態がいつまで続くのか。

今日11月27日は大阪のダブル選挙の投票日。大阪府知事選には新人7人が立候補し、大阪市長選には前府知事と前市長の2人が立候補している。争点は、大阪都構想。これは今回大阪市長選に立候補した橋下前大阪府知事が提唱したもの。
 
大阪都構想は、大阪府と大阪市を廃止して大阪都を設置するもの。政令指定都市の大阪市と堺市、それに大阪市周辺の市を廃止して20の特別区とする。区長は公選によって決める。
 
大阪都構想を東京都にならってみると、大阪都は区内の固定資産税や法人税などの収入を財源とし、区内の水道、消防、公営交通などの事業を行い、住民サービスなどは区の独自性にまかせる。都構想は、産業振興や交通政策、災害対策などで大阪全体の活性化や、二重行政の解消と閉塞感の打破がねらい。
 
橋下候補は2008年に知事になって議会対策の難しさを感じた。政策を実現させるために自らの党の設立に動いた。2010年4月府議会で地域政党「大阪維新の会」を創設。自らが代表になった。東日本大震災後の2011年4月の統一地方選挙では大阪府議会で単独過半数を、大阪市議会と堺市議会では議会第1党となるなど躍進をした。その後複数の市長選挙でも公認や推薦した候補者を当選させた。
 
そのほかの地域政党は、2010年4月、河村たかし名古屋市長を代表とする減税日本が設立、2010年12月、大村秀章愛知県知事が会長の日本一の会、2010年4月、現職や元職の地方の首長や地方議員を中心とした日本創新党などがある。
 
府議会で単独過半数を獲得した維新の会は、6月4日未明、議員定数を現行の109から88に削減する条例を成立させた。強硬に反対する民主、自民など各党は審議をボイコット。審議ゼロで可決という異例の事態になった。これで維新の会と既成政党との亀裂は決定的となった。ちなみに議員定数の削減によって人件費は年間約3億8065万円減る。
 
大阪都構想は、一旦、府と市を廃止する。ところが前平松大阪市長は都構想に反対。そのため橋下前府知事は都構想実現のために自らが市長選に立候補した。
 
大阪都構想について市民はどのように受け止めているのだろうか。ある新聞社が11月19,20日に行った有権者への電話調査によると大阪都構想に賛成が35%、反対が23%、その他・答えないが42%とう結果だった。どうやら多くの有権者は大阪都構想の内容や効果が分からないのかも知れない。たしかに大阪府が都になるとどのようにかわるのかイメージすることは難しい。
 
市長選では橋下候補が若干リードしているようだ。常に改革を求めている有権者は既成政党の支援を得ている候補者より、現状打破で頑張っている候補者を応援したくなるのは当然かもしれない。
 
大阪府知事選挙の候補者は7人でいずれも新人。民主党と自民党の府連の支援を受ける倉田薫前池田市長(63)、大阪維新の会公認で前府議の松井一郎(47)など。市長選の候補者は平松前市長と橋下前府知事の2人。橋下前知事は、2008年2月に当選したが、10月31日、任期を約3ヶ月残して辞任し立候補した。
 
共産党は11月4日に市長選への出馬取りやめを発表した。共産党が市長選に候補者を擁立しないのは48年ぶり。橋下人気に危機感を強めている党大阪府委員会は市長選で平松の支援を決定。橋下前知事の独裁宣言を許すことができないとして反維新勢力の結集を呼びかけた。
 
橋下前知事はこの動きに対し、維新対既成政党の対立の構図を強調。既成政党はビジョンがないまま反維新、反橋下でまとまっている。日本の政治の弱さの象徴ではないか。新しい政党が誕生しないと日本の再生はないと皮肉った。
 
今春の統一地方選挙で大阪維新の会は大阪府議選や大阪市長選などに多数の候補者を擁立し当選させた。橋下府知事は6月に開かれたパーティで日本の政治に一番重要なのは独裁だと発言している。必要なのは強いリーダーの出現ということを独裁と極端な表現をしたのだろう。
 
結束した既成政党はダブル選挙の争点に、自らの政策の強調よりも橋下候補の独裁発言を取り上げ、その政治手法の批判を続けてきた。
 
大阪都構想を実現するには、地方自治法など関連法の改正が必要。そのため9月26日、橋下前知事は記者団に「国政政党が都構想を潰そうとするなら、近畿圏を視野に国政をやる」と宣言した。次期衆議院選挙に向けて候補者擁立をちらつかせ、各党に揺さぶりをかけた。
 
11月24日民主党の前原政調会長は記者会見で大阪都構想について、府県が権限を強化するのは民主党の考えとは逆だと述べた。民主党は市町村に権限と財源を委譲する考え。
 
自民党の石原幹事長は9月に大阪都構想を賛成する発言をしたが、結局大阪のことは大阪に任せるという立場をとり、積極的な支援はしていない。自民党府連は平松前市長を支持している。そのほか国民新党とみんなの党が橋下候補の支持を表明している。
 
民主、自民など各党は、躍進する橋下維新の会との距離をどのように保てばよいのかはかりかねている。既成政党の苦しい対応にはダブル選挙後、維新の国政進出に対する強い警戒感がある。選挙の結果は即日開票で深夜に判明する。
 
 ・新党結成の動き   http://blogs.yahoo.co.jp/hanasakiiti
 

今年になって世界では二つの大きな政権交代の動きがあった。その一つが中東・北アフリカなどアラブ諸国で起きた長期独裁政権の崩壊、もう一つがユーロ圏での財政危機に起因する政権交代だ。ここでは独裁政権の崩壊とその後の民主化への動きについて見てみる。
 
11月23日、イエメンのサレハ大統領が退陣の意思を表明した。1月にチュニジアに始まった長期独裁政権の崩壊は、2月にエギプト、10月にリビア、そして今月の23日のイエメンと続いた。現在シリで政府への民衆の抗議デモが続いているが、これに対して政府は武力弾圧を続けている。
 
これらの国が共通しているのは長期独裁政権で、経済は停滞し、物価は高騰、失業率が高いことだ。独裁者の在任期間はいずれも長く、チュニジアのベンリア大統領が23年、エジプトのアサド大統領が30年、リビアのカダフィ大佐が42年、イエメンのサレハ大統領が33年と驚くべき長さだ。長期政権は軍と癒着し、周りを身内で固め、政治を私物化している。結局腐敗政治につながり、民主化にはほど遠い状態になっている。
 
チュニジアで起きた抗議デモのきっかけは昨年の末に起きた。仕事のない若者が路上で野菜などを販売していたところへ警察官が来て品物など取り上げ暴行を加えた。若者は抗議の焼身自殺をした。このことが伝わって多くの若者が集まりデモは拡大していった。そのうち政府への不満が一気に爆発し、抗議のデモは広がっていった。最終的には軍も大統領を見放して国民の支援に回った。ベンリア大統領は、最早これまでとサウジアラビアへ亡命した。2011年1月、23年間続いた独裁政権は崩壊した。
 
就任当初大統領は、民主化を進めていたが任期を重ねるうちに終身大統領をもくろむなど政治を私物化し、独裁色を強めていった。長期の独裁体制での強権政治や政治の腐敗、食料など物価の高騰と高い失業率などに対する不満と怒りが一気に爆発したのだ。
 
アラブで国民の力で政権を倒したのはきわめて異例といえる。またツイッターやファスブックがデモ参加に大きな役割を果たしたことが特徴的だ。
 
10月23日の行われた選挙で穏健派のイスラム政党が第1党になったが過半数に達しなかったため主要3党で連立政権を樹立した。今後1年いないに総選挙を行うことで合意をしている。
 
チュジニアの動きは周辺諸国に飛び火し、次々と反政府運動が起きた。エジプトでも、2月11日、30年以上にわたってG独裁政治を続けたムバラク大統領は、大規模な反政府デモによって辞任に追い込まれた。。
全権がエジプト軍最高評議会に移管された。しかし軍の権限強化の動きに強く反発し、再び激しい抗議のデモが行われ死者や多数の負傷者がでた。この責任をとって首相と全閣僚は辞表を最高評議会に提出し受理された。
 
軍評議会議長は、民政移管を急ぐことを表明し、28日に国会にあたる人民議会選挙を予定通り実施し、大統領選挙は来年6月までに行うと述べた。しかしデモ隊は軍の政権からの即時撤退と民政移管に応じるよう求めており、事態収拾の兆しは一向に見えてこない。しかも軍の政権撤退後のリーダー不在が不安視されている。
 
リビアは北アフリカに位置し、人口640万人、石油埋蔵量が豊富な国。カダフィ大佐による独裁政権が42年続いた。2月に始まった大規模な反政府デモを発端とした武装闘争。8月、北大西洋条約機構軍の支援を受けた反体制のリビア国民評議会が政府軍を破って首都トリポリを陥落。カダフィは、10月に身柄を拘束された後死去。国民評議会によって、リビア全土の解放が宣言された。
 
22日、反カダフィ派組織国民評議会が元大学教授のアブドルラムヒ・キープを暫定首相に選んで組閣を終了させた。独裁政権下では憲法も議会もない状他が続いてきた。暫定政権は新憲法を制定するための議会選挙を実施し、民主的な国家再建を推し進める。ただしリビアで民主政治の経験はない。
 
イエメンは、中東・アラビア半島に位置し、人口は2413人。7割が農業で 漁業も盛ん。石油と天然ガスが発見されてから工業や建設業が盛んになりサウジなどへの出稼ぎが減った。
 
サレハ大統領は1976年北イエメンの大統領に就任。1978年に南北イエメンが統一し、イエメンの大統領に就任。北イエメンからは33年の在任。
 
イエメンはアラブでも最貧国の一つ。失業率は3割を超える。終身大統領制を導入しようとし、息子への世襲の動きをしている。また南北の差別政策に対しても南イエメンから不満が出ている。これら多くの政府に対する不満がチュニジアに刺激されて反政府運動につながったものと思われる。
 
チュニジアで政権が倒れた4日後の1月18日、首都サヌアでサヌア大学で数百人の学生によるデモが行われた。その後1月20日に独立志向が強い旧南イエメンでは数千人規模のデモが、1月27日には過去最大の1万6千が参加するデモが行われた。
 
これに対して大統領は減税などのほか大統領選への不出馬や息子への世襲をしないことなど不満をそらすための政策を打ち出したが即時辞任を求める反政府側はデモを続けていった。
 
6月3日、反政府軍は大統領宮殿を砲撃し、大統領や首相などが負傷した。翌日治療のためサウジアラビアへ搬送された。この間の政治空白を突いてアルカーイダに実権を握られることが危惧された。
 
これまで何度も周辺諸国からの仲介を受け入れて辞任すると述べながら最終的には拒否をすることを繰り返してきた。
 
11月23日、サウジアラビアで、サレハ大統領と野党連合の代表者が大統領の権限委譲を盛り込んだサウジなどの周辺国の仲介案に署名したことが報じられた。これで長期独裁政権が退陣に追い込まれる見通しが強まってきた。しかし、国内では大統領そう簡単に権力を手放すとは思えないと疑問視する見方が根強くある。今でも軍と反政府勢力との間で武力衝突が続いている。
 
今回の政権崩壊の動きに対して国際社会からの強い後押しは見られない。その理由は政権が倒れるとイスラム過激派や、イエメンに拠点を広げている国際テロ組織アルカーイダが野放しになってしまう恐れがあるためだ。
 
シリアは中東・西アジアに位置し、人口2100万人。石油資源に恵まれているがアメリカなどから経済制裁を受け、経済は停滞している。失業率は8%程度と思われる
 
2000年、父の大統領の死去によって息子の現大統領アサドが就任。1月に騒乱が勃発。チュニジアの影響を受けて起きた。シリア政府は抗議運動を武力で弾圧している。国連は反政府運動で2600人以上が死亡したと見ている アメリカやヨーロッパ諸国は、アサド大統領に退陣を迫っている シリア政府の資産を凍結したり、シリアからの石油の輸入を禁止したりする経済制裁を行っている。アラブ諸国も、アサド大統領に武力弾圧ををやめるよう強く求めている。
 
アサドは反政府側に妥協すれば政権はもちろん自分の命も危ういと見て、弾圧をやめる気配はない。西側諸国はリビアのように軍事介入は考えていない。アサド政権の重しが急になくなると内戦や無政府状態を招いて中東全体が大混乱に陥る恐れがあるだ。シリアの長期政権が倒れた後、どのような状態になるのか予測するのは難しいものと思われる。
 
中国は中東での民主化の動きに関する国内の報道を大幅に規制している。国内での民主化運動と思われる集会などを開くことを厳しく禁止している。さらに中国政府はインターネット上で、今回の政権崩壊にからめて民主主義や自由民権について議論することも厳しく監視していている。シリアの動きに注目が集まっている。

ASEANが11月17日から19日まで、インドネシアのバリ島で開かれた。そこでミャンマーの2014年のASEAN議長国就任を正式に決定した。
 
2011年3月ミャンマーは、20年以上にわたった軍政権に終止符が打たれた。しかし新政府は軍関係者が多数を占めており実質的な軍支配が続く。国会議員の4分の1が軍推薦の軍人。ミャンマーは1997年7月にASEANに加盟。しかし欧米とは人権問題や民主化の遅れなどで対立。中国からは多額の援助を受けているほか、インドとは経済的な結びつきを強化している。そのほか韓国、シンガポール、タイとの関係がある。
 
日本からは50社程度の企業が進出している。日本は2010年前後からミャンマーを注目している。ベトナムの賃金は中国の6割程度だが、ミャンマーはベトナムの約3分の1と賃金の安さが際立っている。しかし現状は政治的な不安定さや衛生状態や労働環境の悪さなど課題は多い。
 
主要産業は米。工業部門が飛躍的な成長しているが、中心は民間製造業ではなく、国有企業による天然資源開発によるもの。
 
オバマ大統領はクリントン国務長官を来月ミャンマーに派遣すると発表した。ミャンマー政府は民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チーさんを軟禁からの解放、政治犯の釈放、言論統制の緩和など民主化への動きを見せはじめた。米政府はこれらを評価して国務長官を派遣することに踏み切った。
 
またAEANは、2014年の議長国就任を決めた。今後3年間で本格的な民主化に移行できるかが課題。今後アメリカは、経済制裁の解除の動きをみせるだろう。

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